春・植物・模様替え

 ああ、花粉だ。鼻の奥になんかある感じ。目がかゆいこと。ああ花粉だ。朝起きて気付く。春がやってきた。春は好きだった。これは過去形である。今はあまり好きではない。春。何か変わる季節。入学、卒業、出会い、別れ、引っ越し。いろんなことが目まぐるしく変わる季節だ。しかし今の自分は全くもって何も変わらない。寒い寒い冬から温かい季節になれば、そりゃ誰でも浮かれてしまうだろう。その陽気さが自分の影を引き立たせるようでとても辛い。なので好きではない。この気持は一時的なものであることを願う一方で、いつまで続くんだろうかという不安に苛まれる。

 植物たちは待ちきれないといった様子で新芽がメキメキと育ってきている。かわいい。剪定をしなければならない。メキメキと育つ植物をプツンッと切ってしまうのは心苦しいが、切ってあげたほうが植物にもメリットが多いので我慢しながらする。ごめんねという気持ちを込めて。植物はどう思っているんだろうか。朝起きたら、いつもの枝がない。びっくりするのだろうか。一方でいとも簡単に受け止めているようにも思える。人間より柔軟な生き物だなぁと感心する。

 ここ数ヶ月で模様替えを進めた。ベットを買った。家具の配置を変えた。ラグを買った。気分が少し上向きになった。特にラグはほんとに買ってよかった。毎朝見るたびに可愛いという気持ちが降ってくる。暇さえあれば座ってなでている。ラグにも上下があるようで、毛先の向きでそれが決まるらしい。まるで愛犬を撫でるように上から下に撫でている。何か自分の気に入った物を手に入れたときに、まるで犬のように愛でる癖がある。友人がとってもカッコイイ服を部屋の真ん中においてジロジロと眺めると聞いたとき、分かる!と思った。モノである。もちろん生命ではない。ただのモノである。そこに人間が勝手に気持ちを乗せてしまって、愛してしまう。なんだか傍から見たら滑稽だけども、愛でてる人間は幸せなんだから良いじゃないと考えてしまう。

マジっすか?という反応をする身体をなだめる

 朝8時。目が覚めた。なんだかんだ寝た気がする。がまだ寝たい。しかし家から全く一歩も出なかった昨日の自分が朝に散歩をすると決めていたので、重い腰をあげてベットから出た。リビングの椅子に座る。行きたくねぇな~どうすっかと考えながら携帯をいじる。遠く離れた友人が今日はとても寒いと連絡していた。「寒いんか」と一人で呟いたときには散歩行こかという気分になっていた。気温が低いと眺望が良いとわかっているので。帰宅してから洗濯やら掃除が残っていては面倒なので、ササッと終わらす。朝食はいつもよりたっぷり食べた。

 9時半。散歩スタート。ザックも持たず、携帯と定期だけを持って裏山を登りに行く。山に登るのも約一ヶ月半ぶりであろうか。冬になると寒いのが億劫で早朝に外出することが非常に難儀。だからこれくらいの期間が空いてしまった。しかし久しぶりに歩いたり走ったりすると身体がびっくりしているのがわかる。マジっすか?という反応をする身体をなだめるように登った。

 景色はいつもと変わらなかった。いつものまま。少しホッとした。今や心はザワザワしている。将来のことや、人生やら、この頃常々考えている自分にとって、変わらないものに触れることでホッとした。どれだけ自分が変わろうとしても周りには変わらないものがある。それに触れるだけで、色々なことを思い出したり、新しいアイデアが浮かんできたりする。うまく言葉に出来ないけれど、常々変化する環境に身を置くと疲れるように、何も変わらないものに囲まれることも大事。さっさと走って下山。

 昼前に帰宅。飯を作る気にもなれず、どこかに食べに行く気になれず。どーしよっかと考えていると喫茶店行きたいなぁと思った。ほな喫茶店で甘いもん食べたいがために昼飯作ろうと適当にパスタ作った。喫茶店はスゴい。あれだけやる気のなかった僕がすぐ昼飯を作ろうとなるくらいスゴい。旨味として創味シャンタンとシーフードミックスを入れた適当トマトパスタを作った。まあまあ美味いやんとか言いつつ食べた。

 喫茶店に向かおうと家を出るとご近所さんに会って立ち話。周りの住民に比べて格段と若い訳か、ほんとに良くしてもらっている。笑い話や真剣な話をして別れた。お目当ての喫茶店は遠く、寒かった。なんてこんな寒い日にでかけているのか、自分でも分からないけれど喫茶店に行きたかった。到着して店内に夕陽が注がれる中、ワッフルセットを食べた。食べながら大阪の行きなれた喫茶店をふと思い出した。ここ最近、というかここ数年、行けていない遠くの場所を思い出すことが多い。思い出してはため息も交じる。ワッフルセットは美味しかった。

 植物でも見ようとホームセンターに行った。かわいい観葉植物があったが、買うのを断念。耐寒性やら、育て方やらをしっかり調べてから買わないと気がすまない。うちの家は特段寒い。日差しも弱いので、よくよく考えないとすぐに枯れてしまう。保留。ぐるぐるとホームセンターを歩いていると「君に、胸キュン。」がCDコーナーから流れていた。思わず口ずさむ。

 さて帰ろう。もう夕方だし。するとイヤホンから「君に、胸キュン。」が偶然流れた。笑った。今日にピッタリの曲が偶然流れると嬉しい。少し晴れやかな気分で帰路についた。

 

インスタグラムのストーリーにセールで数着も買った服を並べてあげる人に憧れる

 買い物を考えると頭がこりごりする。昔からいや幼少期から買い物が非常に苦手だった。トイザらスGBAのソフトコーナー前で一時間以上悩んでた自分を思い出す。本当にこれで良いのか、うーんと悩みに悩んだ記憶。今だって変わらない。よし!買うで!と決め手店頭に向かっても、まず店に入るのに緊張する。一旦目の前を素通り。そして気持ちを整えて入店。店員さんの商品に関する話も全部知っている。なぜなら全部事前に調べてるから!!見てじっくり見て見て考えて考えてやっと購入。長い。

 自分の欲しい物を決めてから購入するまでのスピードが非常に遅い。流れとしてはこうだ。欲しい物を見つける→徹底的に探す、調べる→購入。徹底的に探す、調べるという行為に目一杯時間を使ってしまう。あらゆることを調べ上げ、あらゆるサイトで同じような商品を探してしまう。店頭で実際に買う場面になってもまだ迷っている。ウィンドウショッピングできる人が羨ましい。さっと買ってさっと帰る。かっこいい。どうしてそんなことができないだろうかと考えると結局自分が吝嗇であるという理由が思い浮かぶ。ケチだ!ケチだなぁ!って思うことなんて度々ある。観光地価格の海鮮の食堂には入ったのに、しらす丼の高さにびっくりしてカレーライス食べたり、できるだけ食材は安く買えるようにスーパーをはしごしたり。ケチだなぁ。また納得する商品を買いたいという気持ちもある。大きい金で買う分。納得したい。大いに納得したいと買い物に求めてしまう。こんなんでええのかなぁではなく、これ!絶対これ!という物を買いたい。

 ケチで何が悪い!という気持ちもある。がやっぱり気持ちよくお金をささっと使う人に憧れる。インスタグラムのストーリーにセールで数着も買った服を並べてあげる人に憧れる。一目惚れして買っちゃった~ってストーリーに上げる人に憧れる。僕なら数着買うのに何ヶ月もかかる。一目惚れしたって何週間も悩んでしまう。お金なんて使って良いものだ。そうやって書きながら自分を納得させようとしている。

死ぬまで焼きそばドリームカップ

 焼きそばはドリームだ。僕が言っているのはソース焼きそばだけではない。焼きそばの大いなる可能性。塩焼きそば、そばやき、オムそば。なんにでもなる。嫉妬してしまう。振り返ってみると週に四合しか白米を食べない。そこまで米に対する執着心がない。どちらかといえば小麦のほうが好きだ。パンも好きだし、麺も好き。だからか麺類の比率が多くなる。一人暮らしを始めてから最低でも週に一回は焼きそばは作って食べている。作れば作るほど、魅力に気づく。

 焼きそばの代表格はソース焼きそば。しかしソースと言っても色々ある。焼きそば専用のソース、ばらソースのような万能タイプ、まるちゃんみたいな粉タイプ。一つ一つ味が違う。飽きが来ない。今日はこのソースで、明日はあれでみたいな感じで。そこに追加トッピング。かつお節を入れたり、天かすをいれたりするとまた味が変わる。食べながら少し、味に飽きたならマヨネーズに七味唐辛子を入れたらこれも絶品。とまらない。

 まず麺が大事だ。スーパーで売っている一袋20円くらいの麺ではない。100円くらいの麺を選ぶべき。某業務スーパーで格安麺を買っていた時期もあった。しかしなにかしらのきっかけで他のスーパーで少しお高めの麺を買って焼きそばを食ったときは驚いた。全然違う。たった数十円の違いで幸せになれるのであれば、僕は課金する。それからというものドンッと平積みされている麺ではなく、陳列棚の中段くらいにある高めの麺を買うようになった。麺はだいたい200グラムで炒める。100グラムでは足りない。300グラムにすると僕が持っている鍋ではかき回すたびに野菜がはみ出てしまう。200グラムが正解なのだ。大体お弁当用に少し分ける必要があるから、少し多めでも構わない。具材だって自由だ。シーフードを入れてもいいし、豚肉でも良い。ソーセージでもいい。野菜だってなんだっていい。懐が広いんだ焼きそばっていうのは。

 今一番お気に入りのそばはと問われたならば、上海風焼きそばだと堂々と答えたい。幼少期、家族で中華料理屋に行けば毎回食べていた。あの頃から好きだったが、家では出た思い出がない。母親はあまり日本料理以外を作らない人だったからか、家で食べた記憶はさっぱりだ。それから数年経って一人暮らしを始め、レシピを調べてみれば案外簡単でびっくりした。すると何回も作るようになった。ありゃうまい。オイスターソースとニラと豚肉を炒めたねっとりした麺がたまらない。友人らに振る舞ったときも非常に好評だった。とりあえずオイスターソースをケチらない。すると中華料理屋にも負けない味になる。

 繰り返すが焼きそばはドリームだ。死ぬまで焼きそばドリームカップに参加したい。

加湿器クリーム

ばぁーっと窓を開けた。加湿器のおかげで窓の内側には水滴がびっしり。それくらいしてないと加湿器を置いた気がしない。僕の持っている加湿器は少し賢く、水分量を察知し適当な湿度を保ってくれる。しかしいつ見ても高湿というマークがピカピカと光り、過湿してくれない。そのため僕は連続というボタンを押す。そうすれば延々と加湿し続けてくれる。そんなことをしているとこうなるのであった。目に見えて効果がないとすぐに辞めてしまうたちなので仕方ない。日差しが暖かい。今日は暖かい一日だった。ぐっすりと眠ったが、もう少し寝たい。そんな気分だったが、頑張って起きた。どうしても休日は早く起きたいから。なんとも言えないいい匂いがする。味噌汁のような気もする。暖かさと匂いが相まって「ええ香り」と呟いてしまった。誰かに聞かれているかもしれないのに。まあ誰にだって聞かれていたって大丈夫だが。

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 冬の冷え込みと皿洗いで、手が毎年ガサガサになる。クリームが常備しているのだが、職場に置いていったままであまり塗れていない。だから今日までガサガサだった。いつもなら気にならない手が非常に気になるから擦ってしまう。擦って治ってない、擦っては治ってないと何回も確認するのも嫌になり、もう一本クリームを薬局で買った。すると新たな問題が。クリームをいつ塗るのかも考えないといけない問題。塗ってすぐ手を洗うようなシチュエーションが現れるなら、なんだかもったいなくて塗りたくない。先の行動を考えつつクリームを手に塗り込む。しかも適量でないといけない。あまり塗りすぎてベタベタするのも好みではない。なんてめんどくさいんだ!と思いつつも、塗らなきゃならんので塗っている。先の人生を考えるのがめんどくさいと考えると同じかなとか大層な話と比べてしまう。

 今年も良いことも悪いこともいっぱい抱えつつ生きていくんだろう。そう考えると憂鬱だが生きていくしかない。

灯油・海・フリマサイト

 ここ最近は朝が非常に寒い。家から出るのも億劫になるくらい。起きてすぐに灯油ストーブをつけてなんとかする。冷たい空気にふっと灯油の匂いが散らばるのが好きだ。吸いすぎるのはいけないが、軽く匂うのが良い。暖かくなれば匂いはどこかにいってしまう。しかしまた部屋の気温が下がると灯油の匂いが染み付いている。そのとき隠れているな!と感じる。家に帰ってきても灯油の匂いで落ち着く。灯油は高いし、重たいし良いことは多くないが、この匂いに勝る暖房器具は他にないだろう。

 海が見たい。しかし寒い。春や夏になれば、海岸でぼーっとするのが気持ちいい。しかし寒い。どうしたものか。海好きなんて言えやしないじゃないかと思うが寒い。寒いことに負けてしまう。そりゃたくさん着込んで見に行けばいい話だけれども、そこまでするのもなと思う自分がどこかにいる。そういうときは乗り物や建物から、暖かい場所からポケ-っと見るのが良い。気温がぐっと下がれば遠くもくっきりと浮かび上がる。逆に遠くがぼんやりとしていると気温が高い証拠だ。須磨から友ヶ島でも見えたら、今日は寒い日である。天気予報を見れば、気温なんてすぐに分かる。しかし体感で気温を感じ、自分なりの測定方法で気温を考えるのも面白い。

 フリマサイト。よく使用する。服をよく買う。出品は今までしたことなかった。しかしここ最近アウターを買ってしまったため、出番が激減したアウターが一着合った。これもフリマサイトで買ったものだったが、またフリマサイトで売ろうとしている。リリースだ。フリマサイトは海である。一度は釣り上げたが結局は着ず、リリース。なんてうまい話ではない。ただ自分の計画性の無さを表しているだけ。とりあえず出品してみた。しかし売れない。まったくもって売れない。イメージではポンポンと売れる。出して一週間くらいで売れるだろうと甘く見ていた自分がいた。リリースするにも条件がある。いい写真を撮ってあげて、アピール文を書かないといけない。そしてなによりも出品者、つまり僕がとりわけ柔軟な人間であることを大々的に打ち出さなければならない。「コメント!値下げ交渉!全て可能。写真も追加しますよ!是非!」なんて書いちゃったりする。インターネット上、顔も名前も知らない。そんな売買でも、人は人としての温かみを必要とするのかもしれない。文章から伝わる人柄、梱包から伝わる丁寧さ、写真の撮り方から伝わる姿勢。そんなことを考えていると自分なりに売れそうな出品ページができあがった。出品して一ヶ月。まだ売れていない。

床になろうとしている。

 寒いと外に出るのが億劫である。起きたときには外に出るぞ!という気持ちでいっぱいなのであるが、日が落ちていく頃にはもういいやとなっている。ホットカーペットに寝転び、本を読んだらスマホをいじり。なんか食べて、またホットカーペットに。少しゲームして本を読んだらスマホをいじり。なんてしていると夕方になっている。朝の決意はどこにいったのやら。別人になった自分にうんざりしてしまう。

 一つのことに打ち込まず、小さいことを複数回繰り返している。興味がいろいろなところに向くというか。本を集中して読めても30分。もやもやっと何か他のことしようと考えていると本の内容が頭に入らない。まとまらない頭に時々自分でも驚く。バックグラウンドでぐるぐると考えているような。それを俯瞰的に見ている自分もいる。何人自分がいるんだろうかと驚く。おそらく1人の人間のなかに何人も人間がいるんだろう。1人の身体の中に1人の人間と誰が決めたんだろうか。

 家から出ないと怠惰な気がして仕方がない。こういうときに嫌な感情を抱いたり、現状を考えたりすると、さらに落ち込んでしまう。寒いだけではない。太陽光を浴びていないから。太陽ってやつは粋なやつである。夏の日差しは暑くて嫌いだが、冬の日差しは暖かさを運んでくれる。現れるときも姿を消すときもドラマティックな風景を楽しませてくれる。なんてやつだと思う。もし太陽がない生活ならとっくに人間は絶滅してる気がする。重要な存在なんだろう。なんて馬鹿な話ばかり浮かんでしまう。

 今だってホットカーペットに寝転び、もうそろそろ床になるんじゃないかと思うくらい仰向けでPCに向かっている。ピクミンもびっくりするほど歩いていない。いいじゃないか、昨日2万歩くらい歩いたんだからと肯定する。昨日やったから今日はええやろというのは危険な思想。継続は力なり。いやいやうるせぇ。床にならせてくれという気分を尊重したいの。今日くらい床になりたいんだ。今年ももう終わり。今年は環境を変えると決意した1月からもうすぐ1年経った今、僕は床になろうとしている。明日は買い物行こ。