湊川へ

 久しぶりに15kmくらい歩いた。高取山を越えてそして湊川へ。ここ最近湊川に関するコラムやエッセイが増えた。人気のライターさん達がそこらへんに住んでいるから仕方ないとはいえ僕にとって湊川は少し近いようで遠いような存在であった。そのためにあまりその記事を読んでも感情移入と言うか分からない事ばかりで知らない神戸の一面だと思った。神戸という街は面白いところで人それぞれ神戸像が異なる。僕にとっての神戸は垂水や須磨といったような海と山が近く、華やかさはなく瀬戸内の下町というイメージが強い。そのため僕は湊川についてはさっぱりであった。いやさっぱりではない少しだけ記憶がある。

 幼少期、私達家族の普段の買い物と年始年末の買い物は必ず湊川であった。湊川の東山商店街というところは神戸の台所と自負しているのもあって数多くの店舗が並ぶ。それ追い求めて多くのお客さんがやってくる。うちの母型の祖母もその一人だった。彼女は何でも作る人だった。年をとった今でもそれは変わることはない。しかし昔はもっとすごかった。おせちは絶対に一人で作る。だからぼくは今でもおせちを買ったことが一度もない。そんな彼女に連れられて歩く湊川というイメージが少しだけ残っていた。イカのスルメと野球カステラ。スルメの香ばしい匂いとカンカンとけたたましい音を立てて動く機械。おじさんがコロコロと鉄の型を回して焼く野球カステラ。どれもそこでしか手に入らないものだから大事に食べた記憶がある。野球カステラは1週間かけて食べていたような。そんな一部分だけの湊川は僕にとって湊川の全てだった。歳を重ね彼女もおせちを作ることはなくなり、そして僕も湊川に行くことはなくなってしまった。


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 しかし数年前に湊川でアルバイトをする機会を得た。するとどんどんと湊川が自分の身近なものになってきた。不思議なもので覚えている場所があったり、もちろん知らないこともあった。しかし見知らぬ街が自分のものになっていくという感触が非常に気持ちよかった。あそこのパン屋が好き、あそこの魚屋さんが美味しい、あそこの公園でゆっくりできるなどなど。幼少期の思い出とそして新しい思い出。バイトをやめる頃には二つがうまく重なり合って新しい自分の中での湊川が出来た。新しい土地に慣れるということは自分をその土地に溶かすことのように思えてくる。バターのようにじわっと。自分から溶けていかないといけない。自分の足で自分のお金で自分の目で。時間がかかるが、それも楽しい。あるとこに行ってここには何もない、もう来ることはないでしょうというセリフを聞くたびにうんざりしてしまう。土地は常に受け身だ。僕たちがアクションを起こさないと心を開いてくれない。何もないということは絶対にない。僕はそのように信じている。

 そんなこんなで今日僕は久しぶりに湊川を訪ねた。いつもどおり活気にあふれていた。300円で2個の王林を買って帰路につく。これからも湊川は僕にとって少し遠くて近い存在であってほしい。