「しく」と「しう」
突然だが老人の関西弁が好きだ。いや、神戸弁かもしれない。
「ほなねぇ、〇〇さんによろしうねー」
よろしう!!よろしくではなくよろしう。非常に語感が良くて使ってしまいたくなる。けど使えないのだ。関西弁には二種類あって、高齢者が使う関西弁と若者世代が使う関西弁は似通っているようでぜんぜん違う。普通によろしくと言ってしまう。悲しい。
たとえば、かぼちゃ。私達にとってかぼちゃはかぼちゃであろう。しかし、彼らにとってかぼちゃは南京である。南京。なんきん。非常にかわいい。
言葉は人を表すと言うが本当にそのとおりだ。優しい人には優しい言葉。きつい人にはきつい言葉がまとわりつく。外国語だってそうじゃないか。微笑みの国タイの公用語、タイ語だってすごく柔らかい言葉だし。
外国語を勉強してからというもの言葉の面白さ、魅力に気づく。
日本では英語が外国語としてメジャーであるが、もっと他の外国語を勉強したら良いんじゃないかと思う。
その土地の言語を話して初めてその地に馴染めるのではないか。もし、わたしたちが現地の言葉を少しでも話すことができたら現地の人々は振り返ってくれるだろうし、困ったときは助けてくれるだろう。だからといって英語を非難してるわけではない。とにかく、マイナー言語を勉強してますといえば「それの何が役に立つの?」と言われることが多いのである。何もかも役に立つ立たないの視点で考えていません!!!なんて面を向かって言えないから理路整然とマイナー言語の良さを語るのである。
ほなこれから、商店街では高齢者向けの神戸弁でいきますわ~、よろしう~。