2023年1月某日帯広

 

 2023年1月某日夜、僕は帯広にいた。銭湯ラヴァーは疲弊しきっていた。広い広い帯広の街を歩き続け、ばんえい競馬を見たところで体力はプツンと切れた。「帰ろう、ホテルに直行しよう。」銭湯に寄らずに帰るとは。銭湯ラヴァーらしからぬ。いやでも疲れたから良いじゃないか。しかも今日は名門北海道ホテルに宿泊だし、名門北海道ホテルのお風呂だぞ。良いじゃないか。そうやって自分を納得させながら帰路についた。北海道ホテルは明治から創業している帯広を代表するホテルの一つで、建築から装飾品、そして絨毯までも、こだわりが詰まったホテル。その中でも最近は風呂に力を注いでおり、特にサウナ施設の充実さは帯広の中でも群を抜いている。浴場入り口の壁にはたくさんの有名サウナー(呼び方はあっているのか?)のサインがあった。しかし残念、銭湯ラヴァーはサウナが非常に苦手だ。サウナには目もくれず、モール温泉に飛び込んだ。モール温泉とは、簡単に言えば植物由来の成分が溶け込んだ植物性温泉である。色は黒く、いかにも温泉という感じである。帯広一帯はモール温泉がよく湧き出るのか、銭湯の多くもモール温泉であった。しかし残念、銭湯ラヴァーは温泉とか効能とかあまり気にしない。内湯で温まったら、お目当ての露天風呂に飛び込んだ。

 気温約マイナス14度。最高の露天風呂日和である。熱すぎ、もうダメ、もう無理となるとガバッと風呂から上がり、丁寧に水気を拭き取り、露天風呂脇においてあるベンチに座る。不思議と全く寒くない。気持ちが良い。横に座りに来るサウナー達は立ち代わり入れ替わり、サウナと椅子を移動しているが、僕はどっと椅子に長い間座り込んでいた。僕は完全にコツを掴んでいた。コツは至ってシンプル、身体の水気を拭うこと。湯からあがってすぐさま、水を拭うことで急激な体温低下を防ぎ、長時間体いっぱい目いっぱいに北海道の極寒を堪能できる。

 いやはや本当に最高だし、移住したいなんて考えていると、なんだか頭皮が痛い。違和感を覚え、頭を触ると髪の毛がガチガチに凍っていた。困惑。水に濡れた髪の毛が凍るくらいの気温で、なぜ僕は裸一貫で外にいるのだろうか。いやどうしていられるのだろうか。そのときふと思いついて手元にあるタオルをぐるぐると回してみた。すると約1分ほどでタオルもしっかり凍ってしまった。それを見るとなんだか急に寒くなって、急いで湯船に浸かった。

 

痛みの三段階活用

  11月中旬に六甲全山縦走を踏破した。数年ぶり2回目の参加であったが、その間に多くの山々を登った経験もあってか、余裕綽々に踏破したと言いたかった。正直言ってとっても辛かった。天候がまず雨だった。しとしとではなく、なかなかの土砂降り。レインウェアを着ても寒さを感じるくらい降っていた。それに雨のせいで渋滞が延々と続く状態。非常に辛い縦走大会だった。なんとか力を振り絞って踏破した両足は、びっしょりぐっしょり濡れていた。いくらゴアテックスといっても、今夏に各方面につれそったからか、いくらかダメージを受けていたらしく雨が靴の中に入り込んだ状態で何十キロも歩いた。すると左足の親指の爪と皮膚の間がパンパンに炎症を起こしていた。だいぶ前から左足の親指は巻爪であって、登山前にしっかり切っておかないと腫れてしまうのはよくあること。今回も腫れてしまったかと呑気に考え、特になにもせず放置していた。いつもなら数日すれば引く腫れが引かない。歩くと痛い。ぶつけると声が出るほど痛い。一ヶ月経っても腫れていて痛い。痛いなぁと思いながら職場で足を引きずりながら歩いていると、年上の職員の人に「そういう若いときに我慢してたことが、俺らみたいな歳になってえらいことなるから病院にいっとけ」と的確なアドバイスをもらったり、各所方面から心配されていた。怖くなってネットで調べても、放置するのは本当に良くないから早く病院にいけとしか書いてなかったので、重い腰を上げて病院に行くことにした。

 しかし病院に行くと言っても、皮膚科なんてここ数年行ったことない。ぐるぐると考えた結果、グーグルマップで評価が高いところに行った。初めて行く病院はどうしてもおっかない。お得意のネットサーフィンで治療方法を調べる。ネットで調べることで不安な気持ちを抑え込んだ。

 初めての病院だったので症状などを書いて待機。10分ほどして名前が呼ばれ診察室に入る。グーグルマップの評価通り、優しそうな先生だ。事前に書き込んだ書類通りに左足の親指が痛いことを伝える。靴下を脱いでくれと言われたので、先生の前に置かれた小さな台に靴下を脱いで左足を置いた。看護師さんが上から懐中電灯で左足の親指を照らした。スポットライトを当てているようで笑ってしまう。スポットライトを当てている左足の親指はパンパンに腫れている。なにもこんなときにスポットライトを当ててしまって、親指に悪いなと感じる。

 先生は親指を見るなり「腫れてますねぇ」とポツリ。非常に落ち着いた様子で、言葉を選んでコミュニケーションをとってくれるのでありがたかった。炎症を起こしているところに巻爪が入り込んでいるんだと思いますと僕が付け足すと、先生は「確かに巻いてますね。切りましょうか。」と言って、横にあるペンチのような爪切りを親指に当て始めた。すると看護師がすかさず、僕の肩をポンポンと叩きながら「リラックスしてくださいね」と声をかける。おそらく僕の顔に緊張が走ったのを見逃さなかったのだろう。「痛かったら言ってくださいね。」と段々とペンチみたいな爪切りが爪を切っているのが分かる。どういう切り方をしているのか見ていないので分かっていないが、グッと奥の方を切るのが分かる。柔和そうな先生がやっているとは思わないほど力強さを感じる。優しげな先生が力強い処置をしているということに軽い困惑を覚えている。三回に分けて切っているのが感覚で分かる。僕はそれに合わせて「痛くないですね~、あ、ちょっと痛いっすね、ウッ痛いです!」という痛みの三段活用のような声をあげてしまった。

 すかさず切り口を見ると左の爪の五分の一くらいがなくなっていて笑ってしまった。巻き込んでいる角を切るだけだと思っていた。しかし実際には元となる爪の根本からバサリと切り落としていた。だからか、ぐっと奥まで切るような感覚があったのかと納得した。再び親指にスポットライトが当たった。軽く血まみれの親指の左端はポッカリと肌と爪の空白になっている。「あともう少し切りたいのですがどうしますか、腫れが引いてからにしますか」と先生。「今、切りましょう。」笑いながら答える僕。看護師さんがすかさず肩をポンポンと叩いてくれる。一体感があった。会って5分も経ってないのにコックピットみたいな一体感。先生はまたペンチのような爪切りで三段階で切ってくる。「痛くないですね~、あ、ちょっと痛いっすね、ウッ痛いです!」またもや痛みの三段階活用のような声を上げて処置完了。「また痛かったら来てくださいね、お大事に。」と優しい笑顔で先生と看護師さんに見送られた。

 こんなに痛い処理をしたから帰り道は足を引きづらなあかんと腹をくくっていたが、ところがどっこい爪を切ったことで、先程までの痛みがサッと引いてびっくりした。久々に痛みもなく歩けていることが嬉しい。来週辺りでも山に行こう。

燐廻転生ポン・デ・ライオン

 スルスルと砂糖を飲む。スルスルと。目が覚めた。なんだ夢かい。変な夢だった。そう思い返していると、彼女から疲れてるんじゃないかと、夢診断のサイトのスクショとともに連絡が来た。たしかに、疲れているのかもしれない。というか平日は心身ともに疲れているのだが。

 幼少期、砂糖を口いっぱい放り込めば旨いのではないかと考えた。あんだけ甘いものが全て旨いのだから、その原型の砂糖を食べればいいじゃないかと閃いた。祖母に頼んで口いっぱいに砂糖を入れてもらった。そのとき祖母も何も言わずに、なぜ口に放り込んだのかは今でも分からないが、とりあえず口いっぱいに砂糖を入れた。結果はもちろん気分が悪くなった。全然美味しくなかった。そのあとどうしたのか忘れてしまったが、突然そんなことを思い出した。

最近ハマっているヨーグルッペ

 僕の家に来た友人たちは僕のお菓子ストックを口々に、「甘いもの買いすぎちゃうか」と僕に尋ねる。チャイに入れる砂糖を見てドン引きする。確かになかなかに甘いものには目がない。しかし甘いものをたくさん食べれるかと聞かれれば違う。たくさんは食べれないので、美味しいもので満足したい。自分の今!食べたい!です!というもので満足したい。仕事終わりに気付けばミスドの前に立っていた。

 ミスドは本当に好き。毎回2個3個買って数日に分けて食べるのが好き。オールドファッションを中心に毎回買ってしまう。ポンデリングは苦手なので買わない。今回さつまいもドが売られていて、とても惹かれた。普段はこういう系のドーナツは買わないのだが、さつまいもがずるい。さつまいもなんて旨いに決まってる。しかし形状がポンデリングだったので躊躇した。どこにもポンデリングとは書いてないし大丈夫でしょう。いやいやポンデリングかもしれないよ。頭の中で相談した結果、結局買った。どうにでもなれとトレーに置いた。ポンデリングのモチモチがモチモチしすぎて苦手。ポンデリングの甘さが長引く感じが苦手。言語化すると変な理由だけれどポンデリングは苦手なのだ。燐廻転生してポン・デ・ライオンになったら鬱になりそう。いやまず前世の記憶はないか。さつまいもドは結局、恐る恐る食べると全くポンデリングではなかったのでホッとした。

 疲れているから甘いものを食べるのか、それとも単に甘いものが好きなのか。全くもって分からないなぁ。

 

予定変更

 いそいそと予約変更、予定変更、切符変更。台風で大きく予定変更を余儀なくされた、今回の北岳登山。こうやってテキパキと変更できるのも、今までの経験があってのことなのかもしれないとふと感じた。危険を冒さない。油断をしない。リスク管理が必要である。まるで人生計画のミニチュア版のようだ。山の計画は上手く立てれるのに、実際の人生は上手く行かないのが不思議だけれど。

 なぜ登山をするのかということをもう一度考え直しながら、今回は南アルプスに向かった。スポーツをするという気分でもないし、旅行という気分でもない。半々な気持ちで向かっているなと気付く。登山は観光とスポーツをミックスできるところが自分にとって居心地が良いのかもしれない。遠くを見つめ、あの山この山と思いを馳せるのもいいし、ガツガツコースタイムと戦いながら登るのもよし。下山後は各地の銭湯を巡り、喫茶店に行くのも良い。毎年のように同じ街で降り立ち、いつものコースを巡るのも面白い。このように考えると、登山をしにいっているのか、下山後を楽しみにしているのかさっぱり分からない。

 数日空けた自分の家に帰り、いそいそと片付け。ザックの中身は一度放置してしまうと経験上、しばらく放置することになってしまうから急いで片付ける。いろんなゴミや洗濯物をやっとこさ片付けて、いつも飲んでいる珈琲を飲むとやっと帰ってきたという実感が湧く。雄大な景色を見つめ、ここに住みたいと考えるときもあるけれど、眺望を見て美しいと感じるのは、普段の生活があってからこそなんではないか。普段の生活が平凡で退屈であればあるほど、山頂の景色は刺激的であるのではないか。そんなことに気付くと少し悲しい気分になる。

はざま

 気持ちいい秋風が吹くようになった。季節の変わり目、身体や心は置いてきぼりに季節は進む。年を重ねて重ねていくほど、季節の去り際はなんとなく寂しい。来年も無事に迎え入れることができるのかなんて考えてしまう。なにを言うてるんや、言われるかもしれないけど、それくらい死が近づいているという実感がある。このままぽやっと過ごしているとすぐぽっくり逝きそうな気もする。

 秋だからか、身辺の修理や補修を行うことが多い。落として壊れたカメラ、去年古着で買ったR2ジャケット、バブアーなどなど。新しいものを買うのではなく、使えるだけ使いたい。愛着を持ったもので身の回りを固めたい。一つ一つに拘りを持つことは、ほんとはしんどいから辞めたいけれど、辞めれない。いい加減な格好で、いい加減なまま、街に飛び出したいなんて思うけれど、おそらく家を出て5秒後には後悔している。というのも重たい気分のまま、数日過ごしている。様々なことが脳内で行っては来て行っては来て、色々な感情をお土産に置いていく。頭がパンクしそうになる。ここ数年で、ホントにどん底だなと感じる瞬間が何度もあり、今までの生活はどこに行ってしまったのかと何回も考える。人、周りにいる人、みな何かしらの苦しさや、やるせなさを抱えながら生きているのだろうか。すれ違う人、会って喋る人、友人。人は日々ハッピーに生きているんだろうと昔は勝手に思っていたが、大間違いだと気付いた。大人になるということが、もし何かしらの生きづらさを抱えながら生きることならば、すぐ投げ出してやりたい。なんのために仕事をしているのかと聞かれれば生活のためと答えてしまう。おそらく自分のためにと答えれるのが理想であるが、今は本当に、ただ今を保つために仕事をしている。これでいいのかと聞かれれば全くもってNOなのだが。ここから先どうすればいいのかわからないなあという気持ち。少し行動に移しても跳ね返され、お先真っ暗、さてどうしましょうかとやや数年。いやはやそうなると人生とは、難しい。いつになれば答えが出るのでしょうか、死ぬときでしょうか。

 修理に出したものが手元にないときに、非常に悔しい。普段なら何も感じないのに。無くなったときや失ったときに毎回後悔する。そんなことも忘れて、また無くしてはいけないものを無くし、失ってはいけないものを失っていくのだろうか。

さよなら夏。こんにちは秋。

 さよなら夏。こんにちは秋。朝が冷たいなんてツイートを見かけて、めちゃくちゃ暑い朝を迎えて早1週間。暑い日が続きおかしいな、そうか関東のことだったのかと納得いくまで非常に時間がかかった。しかしここ数日やっとこさ関西も暑さが落ち着き始めている。(まあ今日はとっても暑かったんだけど)少し冷たい風が通る路地が本当に気持ちがいい季節、早くやってこいと願う。暑いのがイヤ!という話は何回も何回もしているから書かないけれど。過ごしやすい気候だと得した気分になるから好き。ただただ平凡な日々がちょっとラッキーな気がするから好き。まだまだ暑そうだけど、早く来いと願う。

 最近すごい雲が好き。大きな雲が高く高く上がった入道雲の高いところだけが赤く染まっているのを見ると、ホントに高いんだなと感じる。それだけでワクワクする。ウロコ雲も最近出てきて秋が近づいているという実感につながる。きっかけは最近の常念岳蝶ヶ岳縦走。

 登山をしていて雲を見ないときはない。近づいてくる雲を見てはがっかりし、眼下に広がる雲を見つめてはテンションが上り、かっこいい山にかっこいい雲がかかっているとさらにかっこよく感じる。普段の生活よりも雲に関心をもつのが登山なんじゃないか。昔は晴天!雲なし!みたいな天気が好きだったが、くもりも最近いいなと思っている。だって涼しいし、太陽の光がないし。勝手に曇天の中の街を歩いているときは、ロンドンみたいだと行ったこともないのに思ってたりする。ほんとに勝手だなと感じるが、それでいい。ただただ気候を眺めて一喜一憂できるような生活をしたい。

湖水浴夏

 また青春18きっぷを買ってしまった。九州でも北海道でも、関西でも、使いに使った切符をまた懲りずに買ってしまった。安いから仕方ないなんて理由で、いつまでも買い続けるような気がする。

 今回は琵琶湖のある滋賀に向かった。友人に誘われ、湖水浴に。湖水浴??はっきりとしない言葉。よくよく調べれば、湖で泳ぐことを湖水浴というらしい。滋賀県民の友人に聞けば、滋賀県民は当たり前のように使う言葉らしい。知らない言葉が未だに身近にあることが楽しい。

 京都に付いて湖西線に乗り換える。古い車両が待ち受けていた。117系という車両。いつまで経っても電車に乗って、しかもその車両が古かったりすると気分が上向きになる。おそらく乗り鉄なんだろうと自分では思っているが、そのとおりな気がする。京都から約30分で近江舞子に到着。

 まず海水浴すら数十年もしていない状態での湖水浴だから、なにが正解なのかがすっかりまったく分からない。周りを見渡せば、ボッーっとテントで寝ている人、ひたすらBBQをしている人、浮いている人などなど。そうか、人それぞれ楽しみがあるのが湖水浴の楽しみなのかもしれない。浮き輪も何も持っていなかったが、湖に飛び込んだ。

 平泳ぎしたりクロールしたり。波が船やジェットスキーによって大きく変わり、泳ぐのも疲れる。浮き輪もないので、仕方なくぷかぷか浮いた。それが案外非常に楽しかった。こうやって泳げるのも小学校のときに、顔に水をつけることも出来ない、プールに連れていけばタコに足を掴まれる!?と喚くなど僕の言動を見た母親が、GBAのソフトを購入するのと引き換えに水泳教室に通わせたからだ。毎週毎週泳いでコテンパンに疲れていたが、いい経験だったな、湖に浮かびながら感じた。とにかく僕は湖に浮くのが楽しかった。なにもせずただただ漂う。晴天の中、何もせずに漂う自分を客観的に見たかった。

 夕方になれば雲は高い所だけがオレンジ色に染まる。夏だな。いろいろな夏の要素が街中に落ちているけど、夕方の風景を見ると夏だなと実感した。こうやって久方ぶりに大きな水の中で、泳ぐということは気持ちいいことを発見した休日だった。